わたしをやわらかにする
聖書 ペトロの手紙 二 1章19節(新共同訳)
こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。
真っ暗闇のなかを歩いたことがありますか。
穴なんてないと分かっていても、落ちてしまいそう。こわばり小股で歩く。
忘れられた月の満ち欠け。けれど漆黒の道、満月の夜はなんて明るい。
銀にまぶしい道、浮き彫りになる自分の足。
その光ひとつで、わたしの足はやわらかに。
その言葉一つで、わたしはやわらかに。
あなたの受苦が記される
ヨブ記1章9~11節(新共同訳)
サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。 あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。 ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
理由なく酷い目に遭う人がいる。かける言葉もない。
理由なく酷い目に遭う自分がいる。言葉も出ない。
それでも感謝できるか?残酷な問い。
神はこの残酷を抱きとめる。問うあなたを突き刺す痛みを、ともに痛みながら。
ただただもったいなくいただく
聖書 マタイによる福音書15章26ー27節(新共同訳)
イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
今日のメニューを期待すらせず、こぼれくるものをただ待ちうける。
おなかをすかせたちいさな犬が、食べこぼしを無心に舐め取る。
言葉もつ人が、言葉もたぬ犬のよろこびに、神の恵みを舐め取るいのり。
アーメン、アーメン、今日もありがとうございます。
ちいさな主が、うしろから
聖書 イザヤ書30章21節(新共同訳)
あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべき道だ、ここを歩け/右に行け、左に行け」と。
あなたのうしろから語りかける主。そのまなざしは、あなたとおなじものを。
あなたが視る世界とおなじ世界を視る主。あなたが痛む苦しみとおなじ痛みを苦しむ主。
あなたとおなじほうを、うしろからそっと。
そんなちいさな、傷だらけの主の声が聴こえますか。