息を貸し、引き取る
聖書 使徒言行録4章32-33節(新共同訳)
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。
イエスは無惨に殺されたが、復活した。だから我々も死に倒れてなお、神に起こされる───現代よりはるかに死が身近な時代、それは鮮やかな希望だった。
だが忘れてはいけない。現代を生きるこのわたしもまた、死すべき存在であることを。神が息を与えてくださり、神が息を引き取ってくださり、その続きがあることを。
これについては古代であれ現代であれ、その心も思いも一つ。
あなたの息を覚えている
聖書 ヨエル書2章22-23節(新共同訳)
野の獣よ、恐れるな。荒れ野の草地は緑となり/木は実を結び/いちじくとぶどうは豊かな実りをもたらす。シオンの子らよ。あなたたちの神なる主によって喜び躍れ。主はあなたたちを救うために/秋の雨を与えて豊かに降らせてくださる。元のように、秋の雨と春の雨をお与えになる。
命は日々糧を求めて、懸命に生きている。それを「努力している」と呼ぼうが「努力が足らない」と呼ぼうが、そんな呼び名とは無関係に生きている。
神は懸命に生きている命を、決して忘れない。消えまい、消されまいと生きる命。その炎が強かろうと、風前の灯であろうと、決して忘れない。
神はあなたの一つひとつの息を、決して忘れない。