首尾一貫が崩れるとき
「なぜ」が共振する
聖書 コヘレトの言葉3章1~8節(新共同訳)
何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時/保つ時、放つ時
裂く時、縫う時/黙する時、語る時
愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。
なぜあのとき、泳げるようになったんだろう。
なぜあのとき、自転車は軽やかに滑りだしたのか。
なぜわたしの大切な、たいせつなあのひとは、あのとき死ななければならなかったの。
1日前でも1日あとでも、1分前でも1分あとでもなく。まさにこのときだったのは、なぜ。
微笑むなぜ。切り裂くなぜ。
あなたが「なぜ」と問うとき、神もあなたとおなじ「なぜ」を持っている。
分かるとはべつの仕方で
聖書 マタイによる福音書19章30節(新共同訳)
しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。
信仰は裏切る。わたしのちいさな予想を、いつも裏切る。
信仰は衝きやぶる。わたしのちいさな想いを、いつも衝きやぶる。
わたしの想像できるていどなら、信じる必要はあるか。
「信じたからって、どうなるんですか」と訊かれたならば、
「分からない。だから楽しみなんだ」と答えたい。
先だ後だと分けるのとはべつの世界が、そこには開けている。
分からないことを、分からないままに、ふかくかみしめる。それはいのちを、ぐんぐん掻き分けて行くこと。
あなたに、こだわっている
聖書 マタイによる福音書18章14節(新共同訳)
これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。
あなたはどう思う?
超巨大な天の父が、ゼロに近いあなたにこだわる。おかしくない?
それはなんの戯画なのか。こだわりぬいたすえに、無限なる者が十字架で殺されるとは。はだかで死にさらされる小さな者が、墓から起こされるとは。
あなたは誰とくらべて大きい?誰とくらべて小さい?
大きい小さいを、誰が決める。
無限に大きなあなたも神には小さな点。だが、これほどに小さなあなたも神には無限大。
わけられるのは神だけ
聖書 マタイによる福音書13章47-48節(新共同訳)
また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。
おたがいだれが大物で、だれが雑魚かなんてわかりやしない。いつかここではない場所へ───そう予感しながら、今をせいいっぱい泳ぐだけ。
魚には魚のいいぶんもあろう。だが魚には漁師の目利きなんてわかりやしない。わからないことはわからなくていい。いつわりの答えに喰いつくつもりはない。
「わからない」ことをわかっていることが、網のなかを楽しくするのだ。