どうせ・・・そんなわけない!
聖書 マタイによる福音書26章6~10節(新共同訳)
26:6 さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、7 一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄使いをするのか。9 高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」10 イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。」
重い皮膚病の人は、宗教的にケガレているとされていました。シモンさんも当時の常識のなかで生きていました。「おれはこの世のケガレだ。なんでおれなんか生きてなきゃならない?どうせおれなんて、誰も」。シモンは皮膚からも、そして心からも、血を流していた。
「どうせおれなんて、誰も」
「そんなわけないだろ!」
イエスさまが家に上がり込んできた。ケガレた?そんなわけないだろ!おまえはまちがいなくキレイさ。神に誓って、おれが保証してやる!イエスさまはシモンのために汗水たらして祈ったんです。
一人の女。彼女は弟子たちの誰よりも、イエスさまの祈りを深く鋭く、見つめていた。イエスさまの祈りを、誰よりも重くゆたかに、聴き取っていた。シモンへの祈りは彼女にとって、彼女自身への祈りだった。その祈りに応えるのに、二度と買い直せない油でさえ、まだ安いくらいだった。
あなたが「どうせわたしなんて」と苦しんでいるなら。暑苦しいイエスさまは、必ずあなたに関わってくださいます。よけいなお世話だろうがなんだろうが、イエスさまは黙っちゃあいない。もうあなたが「どうせ」なんて言っていられなくなるくらいに。あなたが「イエスさまになんて答えようか」と、そんな嬉しい悩みで悩まずにはおられなくなるくらいに。