あなたは開かれている
聖書 イザヤ書56章3~5節(新共同訳)
56:3 主のもとに集って来た異邦人は言うな/主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな/見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。4 なぜなら、主はこう言われる/宦官が、わたしの安息日を常に守り/わたしの望むことを選び/わたしの契約を固く守るなら5 わたしは彼らのために、とこしえの名を与え/息子、娘を持つにまさる記念の名を/わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。
誰だって子どもの頃は、夢を持っていた。幼稚園や保育園で「将来の夢は?」と聞かれたら、即答で、あるいは迷いながら、何か答えたでしょう。でも今は?
大人になるにつれ、思うようになる。夢というのは、破れるためにあるんじゃないのか。願いは、ふつうは裏切られるもんじゃないか。努力なんて、そもそも報われないものなんじゃ・・・・そしてだんだん、知恵がつく。最初から期待しない方がラクなんだ。期待しなければ、絶望もしないんだ。
太古の昔にも、人は同じように苦しんだんです。そして、「どうせこんなわたしなんて」と諦めた。まさにそんなとき、人は神からの声を聴いた──いいえ、あなたがかつて期待した、願った以上のことが、これからあなたの身に起るんですよ。起らなければならないんですよ──
あなたは、今あなたが思い込んでいるままで、閉じてはいない。あなたはいつも、いつまでも、開かれている。あなたは、あなただけのために用意された神の名と、とこしえに繋がっているのです。