借り物の言葉なんかじゃない──聖霊降臨
聖書 使徒言行録2章3-4節(新共同訳)
2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
ここで言う「舌」も「言葉」も、ギリシャ語ではグロッサという同じ単語です。炎のように熱い言葉がイエスの弟子たちにとどまり、その舌からほとばしったんです。一人一人が神の聖なる息遣い〔霊(プネウマ)は「息」の意味もあります〕に衝き動かされ、言葉の壁さえも超えて、自分の舌でイエス・キリストの希望を語り出したんです。
以来二千年弱。「クリスマス」とか「イースター」とか、カタカナが多いので、「外国の宗教だろ所詮」とお思いの方も多いかもしれません。でも、ちがうんです。自分の舌/言葉で語る信仰なんです。イエス・キリストとの出会いを、自分の言葉で語らずにはいられなくなる。それがこの信仰の醍醐味なんです。