「間違えよう」と決意する人はいない。
聖書 イザヤ書59章12節(新共同訳)
59:12 御前に、わたしたちの背きの罪は重く/わたしたち自身の罪が不利な証言をする。背きの罪はわたしたちと共にあり/わたしたちは自分の咎を知っている。
それが間違いであることを知っている。それが悪いことだと分かっている。でも、げんにそれをしてしまう。なぜなのか。どこで間違えたのか。
「よし、間違えよう」。そんな言葉はありません。いつの間にか道を誤る。なぜか軌道修正できない。ますます負の連鎖に落ち込む。この苦しい現実を、聖書では罪と呼びます。
イエス・キリストは、わたしやあなたが間違い、迷ったら、一緒に道を探してくれる。自力ではどうにもならない迷いから、自由へと解放してくれるのです。