信頼が降りてくる
聖書 創世記15章9~11節(新共同訳)
主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。禿鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。
恋人、友だち、家族・・・・誰かを信頼したあとで、その理由は列挙できる。だが、信頼が始まるまえに「この人を信頼できるか?」、その説明はできない。
わたしが信頼するのではない。信頼が、わたしへと降りて来る。
いつ終わるのか分からないことを、延々とやる。アブラムの儀式は、生きることそのもの。だが「これになんの意味が?」という問いからは、彼は自由である。彼は主を信頼しているから。