スマホ説教 スマホで福音

日本キリスト教団王子北教会 http://romantischeironie.wix.com/godisnowhere から福音を発信します。スマートフォンなどの画面でも読めるような、なるべく短い、キリスト教のメッセージを語れたらいいなと思います。

放つこと

聖書 マタイによる福音書18章35節(新共同訳)

あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。

赦すというのは、忘れることではない。相手がなしたわたしへの痛みは、忘れられない。だが相手を捕縛せず、同害報復もせず、放つこと。

わたし同様、相手もまた神に放たれた存在であり、わたしの思うままにはならないのだから。

むりに笑うな。怒りを示せ。ただし怒るとき「いや、このひとを放とう。神がわたしを放たれたように」と。

赦しは、ただ相手を放つことだけを目指せばよい。

わたしが相手を放つとき。じぶんを蝕み焼くものから、わたしは放たれる。

あなたに、こだわっている

聖書 マタイによる福音書18章14節(新共同訳)

これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。

あなたはどう思う?

超巨大な天の父が、ゼロに近いあなたにこだわる。おかしくない?

それはなんの戯画なのか。こだわりぬいたすえに、無限なる者が十字架で殺されるとは。はだかで死にさらされる小さな者が、墓から起こされるとは。

あなたは誰とくらべて大きい?誰とくらべて小さい?

大きい小さいを、誰が決める。

無限に大きなあなたも神には小さな点。だが、これほどに小さなあなたも神には無限大。

 

わけられるのは神だけ

聖書 マタイによる福音書13章47-48節(新共同訳)

また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。

おたがいだれが大物で、だれが雑魚かなんてわかりやしない。いつかここではない場所へ───そう予感しながら、今をせいいっぱい泳ぐだけ。

魚には魚のいいぶんもあろう。だが魚には漁師の目利きなんてわかりやしない。わからないことはわからなくていい。いつわりの答えに喰いつくつもりはない。

「わからない」ことをわかっていることが、網のなかを楽しくするのだ。

ブロックできないとき、どうするか

マタイによる福音書12章49-50節(新共同訳)

そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

「あなたもわたしも神の家族」と想いつづけることは、むずかしい。

でも天の父の御心は、わかるようでわからないものだ。だから今わたしの嫌いな人がしている、わたしの嫌いなことが、もしかしたら天の父の御心かもしれない。

相手を嫌いなままでいい。わたしは神じゃないから、にんげん全員は愛せない。わたしも相手も天の父の御心につながっている、そのことだけ知ればいい。

今すぐでなくていい

聖書 テモテへの手紙 二 4章6節以下(新共同訳)

わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。

神が決めた道は、まるで一歩も前に進んでいないような、むしろ退行さえしているような、中断や挫折の道。

「この道を走る意味は?」

意味は道そのもの。どこかだけを切り取ってみても分からない。道全体を見渡せるのは神のみ。

ただ死へと疾走しているのではない。限りある命を走る、あなたは神の目に貴くうつくしい。

あなたが信じたとおりのこと

聖書 マタイによる福音書8章13節(新共同訳)

そして、(イエスは)百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、(百人隊長の)僕の病気はいやされた。

エスは「病よ去れ」とも「悪魔よ退け」とも言わない。イエスにとってもっともたいせつなこと、それはあなたが信じたとおりのこと。

エスに語りかけられて、あなたは何を信じるのかを知る。

───イエスの言葉に耳傾けて、わたしは祈る安心を得た。

言葉の近さ

聖書 エレミヤ書7章3~6節(新共同訳)

イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。

人の血なんて流すはずない。虐待なんてどこかのバカがすること。

外国人や孤児や寡婦は、わたしにとってだれか。あの人はほんとうに、わたしが思っている程度の人か。そう思うわたしは何者か。

神々とはなにか。わたしは、なにに従って行動しているのか。