きらうわたしを、神にみてもらう
聖書 テモテへの手紙 一 2章1-2節(新共同訳)
そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
いのる。神とじぶんとの関係をいのる。神とあのひととの関係をいのる。
わたしのきらいな、あのひとのことも神に。すると「きらい」ってなに?
神を前に、わたしの「きらい」をみる。じっくり、みる。
わたしの「きらい」は、神を前にちいさい。
息を貸し、引き取る
聖書 使徒言行録4章32-33節(新共同訳)
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。
イエスは無惨に殺されたが、復活した。だから我々も死に倒れてなお、神に起こされる───現代よりはるかに死が身近な時代、それは鮮やかな希望だった。
だが忘れてはいけない。現代を生きるこのわたしもまた、死すべき存在であることを。神が息を与えてくださり、神が息を引き取ってくださり、その続きがあることを。
これについては古代であれ現代であれ、その心も思いも一つ。
あなたの息を覚えている
聖書 ヨエル書2章22-23節(新共同訳)
野の獣よ、恐れるな。荒れ野の草地は緑となり/木は実を結び/いちじくとぶどうは豊かな実りをもたらす。シオンの子らよ。あなたたちの神なる主によって喜び躍れ。主はあなたたちを救うために/秋の雨を与えて豊かに降らせてくださる。元のように、秋の雨と春の雨をお与えになる。
命は日々糧を求めて、懸命に生きている。それを「努力している」と呼ぼうが「努力が足らない」と呼ぼうが、そんな呼び名とは無関係に生きている。
神は懸命に生きている命を、決して忘れない。消えまい、消されまいと生きる命。その炎が強かろうと、風前の灯であろうと、決して忘れない。
神はあなたの一つひとつの息を、決して忘れない。