スマホ説教 スマホで福音

日本キリスト教団王子北教会 http://romantischeironie.wix.com/godisnowhere から福音を発信します。スマートフォンなどの画面でも読めるような、なるべく短い、キリスト教のメッセージを語れたらいいなと思います。

きらうわたしを、神にみてもらう

聖書 テモテへの手紙 一 2章1-2節(新共同訳)

そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。

いのる。神とじぶんとの関係をいのる。神とあのひととの関係をいのる。

わたしのきらいな、あのひとのことも神に。すると「きらい」ってなに?

神を前に、わたしの「きらい」をみる。じっくり、みる。

わたしの「きらい」は、神を前にちいさい。

息を貸し、引き取る

聖書 使徒言行録4章32-33節(新共同訳)

信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。

エスは無惨に殺されたが、復活した。だから我々も死に倒れてなお、神に起こされる───現代よりはるかに死が身近な時代、それは鮮やかな希望だった。

だが忘れてはいけない。現代を生きるこのわたしもまた、死すべき存在であることを。神が息を与えてくださり、神が息を引き取ってくださり、その続きがあることを。

これについては古代であれ現代であれ、その心も思いも一つ。

他人ごととは思えぬ

聖書 申命記26章11節(新共同訳)

あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい。

他人であって、他人でない人がいる。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい*1かつて寄留者であった自分を、いま寄留者である他人に見る。もうひとりの自分自身と、いっしょに喜び祝う。

自分がなにものだったのかを思い起こすこと。それは他人のなかにある、わが苦しみを想うこと。想いは不完全。できることはちいさい。でも、そこからがはじまりだ。

*1:レビ記18:18

脇役のあじわい

マタイによる福音書5章16節(新共同訳)

そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。

わたしが主役じゃなくていい。

そんなわたしの生活が、「わたし」を超えたものを指し示す。これはふしぎなこと。ほんとうのこと。わたしは目の前のささやかなことを、そっとやるだけ。*1

この気づきは、わたしを自由にしてくれる。「わたしに、もっとわたしに!」の渇きから、わたしを解き放ってくれる。

 

*1:「立派な行い」το καλον εργονは直訳すればもっと単純に「よい行い」

神との遭遇

聖書 使徒言行録17章32~34節(新共同訳)

死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。

むしろパウロについて行った人が現れたことのほうが不思議。そして信仰とは、つまりそういう「理由なき出会い」とでも言いうるものだ。

出会わなければ復活など荒唐無稽。しかし出会ってしまった人にとって、それは生きた光そのものとなる。

神に駄々をこねる

聖書 マタイによる福音書11章25-26章(新共同訳)

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。」

神の真理を知るために、知恵を棄て幼子になろうとする。その決意がすでに賢い。どうすれば幼子そのものに?

神に話しかけること。神に願い、神に怒り、神に泣き、神に喜ぶこと・・・・神と話をすること。そのときあなたはいつも幼子。何歳になっても神にだけは駄々をこねる。

あなたの息を覚えている

聖書 ヨエル書2章22-23節(新共同訳)

野の獣よ、恐れるな。荒れ野の草地は緑となり/木は実を結び/いちじくとぶどうは豊かな実りをもたらす。シオンの子らよ。あなたたちの神なる主によって喜び躍れ。主はあなたたちを救うために/秋の雨を与えて豊かに降らせてくださる。元のように、秋の雨と春の雨をお与えになる。

命は日々糧を求めて、懸命に生きている。それを「努力している」と呼ぼうが「努力が足らない」と呼ぼうが、そんな呼び名とは無関係に生きている。

神は懸命に生きている命を、決して忘れない。消えまい、消されまいと生きる命。その炎が強かろうと、風前の灯であろうと、決して忘れない。

神はあなたの一つひとつの息を、決して忘れない。