スマホ説教 スマホで福音

日本キリスト教団王子北教会 http://romantischeironie.wix.com/godisnowhere から福音を発信します。スマートフォンなどの画面でも読めるような、なるべく短い、キリスト教のメッセージを語れたらいいなと思います。

あなたの「死にたい」は神の「死にたい」

ペトロの手紙 二 3章8節(新共同訳)

愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。

苦しいとき、あなたは「死にたい」と言っていい。ただしあなたの「死にたい」は、神の「死にたい」でもある。あなたの苦しい一日は、神の千年すなわち神の永遠において、キリストの一日と同時である。あなたと同じ血のかよったキリストは「死にたい」と「生きたい」のはざまで、あなたとともに今ここで、十字架に苦しんでいる。

力尽きたとき

聖書 エレミヤ書36章2-3節(新共同訳)

「巻物を取り、わたしがヨシヤの時代から今日に至るまで、イスラエルとユダ、および諸国について、あなたに語ってきた言葉を残らず書き記しなさい。ユダの家は、わたしがくだそうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す。」

後悔のツイートが積み重ねられる。

もうこんな後悔をしたくない。他の者にはこんな後悔をさせまい。きれいごとなど言いたくない。災いなるかな、このわたし────

後悔する人間は力尽きつつ、しかも秘かに、本人さえ知らぬ間に、神の前に力を溜めゆく。今やバッテリーの切れた人間は後悔において、神に接地し充電をしている。

わたしは知らない

聖書 マルコによる福音書13章32-33節(新共同訳)

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」

わたしの知らないことがある。この、「わたしは知らない」という事実に、いつも目を覚まされる。「わたしは知らない」という消息から、何者かの気配がする。

だからわたしは知ろうとする。知ることはできないと分かっているからこそ、わたしは惹かれ、知ろうとする。わたしの知らないことを唯一人、何者かだけが知っている。その何者かをこそ知りたいと、わたしは惹かれゆく。

どうしてもわたしに分からないことは、その者にとっておいてもらおう、最期の日まで。

順番の外

聖書 マルコによる福音書10章31節(新共同訳)

しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。

エスがいろいろな教えを説いた末に、その結びとして語る言葉。なんとも自由で気楽だなといったら、不謹慎だろうか。

エスの教えを実践してみて、その結果自分が先になろうが後になろうが、そんなことはどうでもいい。そういうことを気にするのとは、ぜんぜんちがう視界が開けつつあるから。

それこそが、イエスに耳を傾けるとき始まる出来事なのだ。

息も絶えだえに

聖書 出エジプト記6章9節(新共同訳)

モーセは、そのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。

意欲を失うことは息/魂の不足*1。息も絶えだえ、心は枯れ果てて。神の言葉さえ響かない。

ネットの荒野をさまよった末、このひと言へたどり着いて。今や息も絶えだえなら、この文字は一滴の水にもならないだろうか。

主よ、息を継がせる言葉をください。この文字を追ううつろな目、その心に、一滴の水をください。

*1:מִקֹּ֣צֶר ר֔וּחַは「息/魂の不足状態にあって」という意味。

信頼が降りてくる

聖書 創世記15章9~11節(新共同訳)

主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。禿鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。

恋人、友だち、家族・・・・誰かを信頼したあとで、その理由は列挙できる。だが、信頼が始まるまえに「この人を信頼できるか?」、その説明はできない。

わたしが信頼するのではない。信頼が、わたしへと降りて来る。

いつ終わるのか分からないことを、延々とやる。アブラムの儀式は、生きることそのもの。だが「これになんの意味が?」という問いからは、彼は自由である。彼は主を信頼しているから。

 

 

しぶみ

聖書 創世記2章7節(新共同訳)

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

わたしが毎日使っている、このうつわ。この染み、この傷。ああこの欠けたところは、あのときの・・・

うつわは時を刻む。量産であろうが銘品であろうが、このうつわに刻みこまれた時は、このひとつだけ。大切にしたい。割れたら寂しい。

わたしの傷や欠けは、わたしが使われてきた歴史。傷がついても、欠けても、大切にされてきた歴史。