それは驚きもしないことから
聖書 使徒言行録24章14-15節
24:14 しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。15 更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。
パウロは「分派」活動によって人々を惑わしているという罪状で、裁判に引き出されています。ですが、彼は自己正当化のため自らの「スゴさ」を誇示するような、奇跡の話はしません。
仲間に救援金を届けに来たこと。神殿へと(ふつうのユダヤ人のように)礼拝しにきたこと。パウロはそれを語るだけです。彼にとって、それがイエス・キリストの復活を喜ぶことだからです。
イエス・キリストの復活の希望に衝き動かされた者は、スゴいかスゴくないかという価値判断から自由です。人目も引かない地味なことを、喜びのうちに行うことができるからです。